子龍は20代半ばの頃、大きな病を経験しました。 開腹手術の後、腹膜の癒着によって再び手術を受け、その前後およそ一か月にわたって、高熱と耐えがたい痛みに苦しみました。 少し動くだけでも激痛が走る。 どうすれば、この痛みから逃れられるのか。 病床で苦しみ続けた末、子龍は、ふと一つのことに気づきます。 「痛さが外から自分を苦しめているのではない。痛さこそが自分ではないか」 痛みを自分の外にある、取り除くべきものとして考えるから、そこから逃れようとして苦しむ。 それならば、逃げるのではなく、痛みの中に入り、痛みと一つになって生きてみよう。 子龍はそう考えました。 この極限の体験を、子龍はやがて自身の「書」の思想へと昇華させていきます。 筆、墨、紙、そして文字。 書に向き合うとき、これらを自分の外にある「思い通りにならないもの」として意識している限り、人はそこに縛られてしまう。 しかし、それらと対立するのではなく、筆と一つになり、文字と一つになって動くとき、筆はかえって自由に働き始める。 後に子龍は、この感覚をこう語っています。 「内側から筆と一つになって、自分のいのちのまにまに動いてゆく。……筆の働きを忘れた時、筆は一番よく働いてくれる」 若き日の極限の痛みの中で経験した、「自分と、自分を妨げるものとの境界が消えていく感覚」。 この体験はやがて、子龍が書を「内のいのちの躍動が、外におどり出て形を結んだもの」と捉える思想の根底に、深く息づいていきます。