子龍が求めた「東西の交流」がどのようなものだったのか。 その考えを鮮明に伝えてくれるのが、ベルギーの画家ピエール・アレシンスキーとの間に残された書簡です。 1955年、アレシンスキーは日本を訪れ、書を題材とする映画の制作を進めました。子龍たちもその撮影に協力しますが、その過程では、互いの考え方の違いから行き違いも生まれました。 同年10月、子龍はアレシンスキーに長い手紙を送り、その中でこう訴えています。 「文化の交流は互いに尊敬と感謝の気持でいなければ出来ない。」 子龍が強く意識していたのは、西洋が日本の書を一方的に「紹介する」という関係ではありませんでした。 ヨーロッパの芸術家たちもまた、日本の書から多くのものを受け取っている。日本の書家も、西洋の現代美術との出会いによって新たな刺激を受け、自らを問い直していく。 互いに与え、互いに受け取り、対等な立場で向き合うこと。それこそが、子龍の考える「東西の交流」でした。 残された書簡からは、子龍がこの理念を単なる理想として語っていたのではなく、実際の人間関係のなかでも、時に相手と衝突しながら貫こうとしていたことがわかります。 世界へ書を開くこととは、西洋に認めてもらうことではない。 異なる文化が互いを尊重し、刺激し合うことで、新しい芸術の可能性を生み出すこと。 それが、子龍が世界との交流に求めていたものでした。