1952年1月5日、森田子龍、井上有一、江口草玄、関谷義道、中村木子の5人が京都の龍安寺に集まり、墨人会を結成しました。
彼らは、師・上田桑鳩が掲げた「書を純粋な芸術として確立する」という理念を受け継ぎながらも、旧来の書壇の体質や封建的な師弟関係にとらわれず、より自律的な立場から書を追求するため、桑鳩の奎星会を離れる道を選びます。それまでの地位やしがらみを捨て、ゼロから新しい書を追求するための出発でした。
そのわずか3か月後、1952年4月に創刊されたのが、墨人会の機関誌『墨人』です。
国内外のモダンアートや思想を広く取り上げた『墨美』に対し、『墨人』は墨人会そのものの実践の場でした。作品を発表するだけでなく、互いの作品を批評し、古典を研究しながら、それぞれが自らの書を厳しく問い続けていきます。
彼らの作風は決して一つではありませんでした。文字に向き合う者もいれば、文字の形を大きく崩し、抽象へと迫る者もいました。それでも彼らを結びつけていたのは、権威や名利に寄りかからず、一人ひとりが自らの責任で書を追求するという姿勢でした。「会員すべて平等」という墨人会の精神も、そこから生まれています。
その活動はやがて海外にも届き、ニューヨーク近代美術館での展覧会をはじめ、サンパウロ・ビエンナーレ、カーネギー国際美術展、ドイツのdocumenta(ドクメンタ)など、国際的な現代美術の舞台へと活動の場を広げていきました。
書を古い制度や権威から解き放ち、一人の芸術家として自らの書を問い続けること。
『墨人』は、そのための実験と批評の場だったのです。 この言語の音声はまだありません
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墨人 | 森田子龍